カテゴリ
以前の記事
2009年 08月 2008年 11月 2008年 05月 2008年 02月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 フォロー中のブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
行程 愛南-(国道56号線)-四万十(中村)-(国道56号線)-須崎-(黒潮ライン)-国民宿舎 土佐 高知に突入した時点で午後1時半を回っていたので、やはり足摺岬は無理かな、との判断に達し、小京都 中村の町並みを見て今日の宿・国民宿舎に向かうことにした。 最近まで"中村"だった市名は流行の平成大合併によって"四万十"に変わった。そのおかげで何度も"四万十(旧中村) ○○km"というわずらわしい案内標識を見る羽目になった。 中村が小京都と呼ばれる所以は二つある。一つは京都のような碁盤目状の区割り。もう一つが京都と同じ地名が各所に名づけられているところである。中村は、公家である一条教房が応仁の乱を逃れ、一族の荘園である幡多荘に下向してきた時に作られた街で、京都を懐かしんで各所に京都と同じ名前をつけたという。街の東側を流れる後川は鴨川、西を流れる四万十川は桂川と呼ばれた。東にある山もやはり東山。さらには(東山じゃないが)大文字の送り火も行われるらしい。 どうにもならない京都かぶれっぷりだが、昼食に何かおいしいものを、と(すでに14時過ぎ)碁盤目の街を歩く。 どこにでもある寂れた商店街を見つけ、案内所を尋ねる。 「この街で美味しいものって何かありますか?」 「ええっとですね・・・」 あまり人が来ないからか、こんなことを尋ねる人がいないからなのか、かなりあわてた様子を見せ、最終的にPCの前に案内される。探せということらしい。 地元人が思いつかない時点で、「特においしいものは無い」と判断したのだが、とりあえず着座、検索。 しばらくすると馴染みのおばさん(?)が入ってきて、かつおのたたきが美味しいということを教えてくれる。しかも高知(市)あたりのたたきとは違って、塩をつけて食べるらしい。 高知式のポン酢でならかつおのたたきは何度も食べたことがあるが、塩とは初耳だ。興味深い。 そこでたたきを出してくれる店を訪ねると、「どこの店(居酒屋)でも出してくれるよ」とのこと。 しかし自分は居酒屋の開店する夕方までここに滞在するつもりは無い。 泣く泣くあきらめて、一条神社でも見てゆくことにする。 商店街を抜けたところにポコッと突然、丘が現れる。この丘の頂上にあるのが一条神社である。 この神社がある小森山周辺にはかつて一条家の居所である中村御所があった。一条氏は房家のころ隆盛を誇るが、長宗我部氏の侵攻によって滅んでしまう。 一条氏を滅ぼした長宗我部氏も関が原の合戦で改易され、中村は山内氏の所領となり、時が流れた1862年、一条氏の遺徳を偲ぶ有志によって代々の一条氏を祀る神社が建立されたそうだ。 「うわっ、新しーっ!」と思いつつもとりあえずお参りをしておく。公家に何を拝むわけでもないがとりあえず拝んでおく。 結局昼食はたこ焼きで済ませ、15時、今日の最終目的地 土佐に向けて走り出す。 さようなら小京都・中村。鴨川こと後川を越えるとそこはまた高知。日没まで間に合うかなあと不安を抱きながら突入した中村の東にあるトンネルの名は”逢坂トンネル”。 どこまで京都にかぶれてんだ・・・。 16時半、腹が減る。たこ焼きしか食べてないから当然といえば当然だ。 かといって今腹いっぱい食べてしまっては夕食にかかわる。 ということでアンマンでも食べるべく、ちょうど良く見つけた四国のコンビニ”スリーエフ”に入店。 レジ脇の中華まん保温器を物色すると、“窪川の豚まん”なるものを発見。 「この窪川の豚まんって何ですか?」 何か知らんが違うのだろうからそのまま買えばいいのに訊いてみる。 「道の駅“あぐり窪川”で売られている豚まんですよ。」 そういえば、さっきそんなところをスルーした覚えがある。 「へー、有名なんですか?」 「・・・。ええ、有名ですよ。」 その沈黙からすべてを悟ったが、せっかくなので購入。 「どこから来たんですか?」 「福岡からです。四国一周をしようと思って。」 「そうなんですか。ちょうど悪いときにきちゃいましたね。」 「あははー、はい。でもまあ覚悟してましたからねぇ。」 などと当たり障りの無い会話をして店を出る。 食す。 まあ、それなりに美味しい。 小龍包までではないが中々ジューシーで、有名ではないようだが食べる価値はあった。 その後もひたすら北東に進み、何とか明るいうちに土佐市に隣接する須崎市に到着。ここから針路は国道56号線からそれる。土佐湾と浦の内湾という細長い湾に挟まれた、これまた細長い半島の尾根づたいを走る横浪黒潮ラインを抜けた先が今夜の宿である。 日没も近づいてあたりは薄暗く、また一日中走り続けた体であるので、至極安全に山道を走りぬけ、山頂にある宿にたどり着いた。 日があれば眺めがよいのだろう。 しかし18時過ぎ、とっぷりと日は暮れ宿以外の明かりはない。 闇から吹き付けてくる強風に「イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ッッッッ!!」と叫びながらシートにしっかりと固定した荷物を解き、やっとの思いでフロントに飛び込んだ。 さて、今夜は少しでも旅にかかるお金を節約するため、「ドミトリープラン」で宿泊の予約をしていた。一室4人の相部屋プランである。 しかし、シーズンオフで利用者が少ないためか、オーナーのご好意により個室を用意してもらえることになった。 同じように旅をしている人たちと話ができるのもドミトリープランの醍醐味ではあるのだが、ほかの人に気を使わずにゆっくりと休むことができるのであれば、それはそれでありがたい。 予約は「ドミトリープラン」だった、ということでドミトリープランの料金で個室に泊まらせていただくことに。本当にありがとう、国民宿舎 土佐。国民宿舎 土佐。国民宿舎 土佐。 荷物を部屋に置き、かつおのたたき(高知風)定食をいただき、さあ風呂に入ろうと思ったときに得た「露天風呂」の情報。 南東方向に向かって設置された露天風呂からは土佐湾を一望できる。湯につかりながら土佐湾からの風を浴びることができる。 しかし今は寒波の真っ只中。苦行以外のなんでもない。そこで「屋内浴場もあります」との表示。 「なんだー、屋内浴場もあるのかー。寒いし、屋内浴場でいいかなあ。」 と、一度は妥協しかけた。 が、しかし! この寒空の下、はるばる山口から単車を走らせてきた漢が何をか言わん! 入ってやる、入ってやるぞ! ということでお風呂セットを持って露天風呂へ。 フロントを出て露天風呂まで10mの下り坂を下る。 風が寒い。非常に寒い。 どうせ誰も入らないだろう、と思って浴槽がカラだったらどうしようなどという心配をしながらも、すでに使命感のようなものを感じながら露天風呂へ歩を進める。 脱衣所の扉を開けると案の定誰もいない。 考えられる可能性。貸切、または湯がない。 服を脱いだはいいが、本当に湯がないとかありえないし、面白くともなんともないので、とりあえず浴場を除いて後者の可能性をゼロにし、服を脱ぐ。 自分は一日中寒い中を走ってきて、屋内浴場にしときゃいいのにわざわざ露天風呂に入ろうとし、今服を脱いで一番寒い状態であるというのに、自然はそんな事情はお構いなしだ。容赦なく風は吹きつけてくる。 自分は自分で、誰もいないんだからそのまま浴槽へ飛び込めばいいものを、粛々と体を洗い、その後やっと浴槽に体を沈める。 湯に使ってしまえばこっちのもので、それまでの寒風は涼風に変わり、夜の闇は冬の澄んだ景色に変わる。 うたい文句どおり、ここからは土佐湾が一望できる。 海岸線にはポツポツと人家の光。 その後ろにはぼんやりと山の影。 あそこでちかちかと光るのは室戸岬の灯台だろうか。 眼下に広がる土佐市の海岸から、室戸岬まで弓なりに続く海岸線を目でなぞると、1時間もかからずにいけそうな気がしてしまう。 明日はあそこまで行って、徳島へ向かう。 高知城に行って、鯨料理でも食べて・・・ 雨が降らなきゃいいな。 日没まで徳島に到着するかな。 期待と不安が入り混じる。 とにかく今夜はしっかり体を休めねば。
by u-seigo
| 2006-01-05 14:00
| バイク
|
ファン申請 |
||